大阪ディンゴーズの歴史:90年代前半

2013lionsr5
作者:水口公男
英訳:アダム

私がオーストラリアンフットボールと関わり合いを持つようになって、早や23年となる。あれから長い年月が過ぎ、私自身はミドル世代の後半に身を置くようになったが、若い頃に初めてフッテイーと出会った時の新鮮な驚きは鮮明に覚えている。 その23年前の、クラブを創設した時の話を記述したいと思う。

クラブの創立

1990年3月、当時私は社会人になって3年が経ち、仕事もひととおり覚えたことから余裕が出てきた。学生時代から途絶えていたスポーツをまた始めようと思い、勤めていた会社のそばにあった大阪城公園内のラグビーグラウンドに立ち寄ってみた。参加できそうなラグビーのクラブチームを探す為である。しかしそのグラウンドで行われていた試合は、ラグビーではなかった。サッカーとも違う。何か見たこともないスポーツだった。だが観ていてスピード感があり、とてもおもしろい。しばらく観ていると関係者らしき人から紙を渡された。『日本オーストラリアンフットボール協会(JAFA) 会員募集』。私は協会加入の申し込みの記入をし、郵送した。(その後知った話だが、その日行われていたのは、東京の学生選抜チーム対関西在住のオーストラリアチームの試合だった。オーストラリア人は、在大阪オーストラリア領事館の方の呼びかけで集められたとの事。)

それから数か月経ったある日、JAFAより電話があった。「大阪であなたのようにJAFAの会員に成った人が2人います。」それならば会ってみようということで、私を含め3人が大阪のナンバシティで初顔合わせをした。1人はその後のクラブ活動で長い長い付き合いとなる公務員の男性で、もう1人は銀行に勤める女性。これがクラブのスタートだった

チームと成るには、プレーヤーを集めなくてはならない。だが日本人でこのスポーツを知る人は皆無に近い。先ずは3つの方法で部員募集の活動を始めた。一つ目は、新聞各紙に部員募集の記事を掲載することだった。当時は未だインターネットが普及しておらず、より多くの人々に知ってもらうにはこれが最善だった。日本ではめずらしいスポーツということで、新聞社も掲載に応じてくれることが多かった。二つ目は、オーストラリアとの文化交流を行っている団体への協力の依頼だった。応じてくれたのは、オーストラリアへの留学やホームステイを斡旋していた神戸日豪協会だった。留学から帰国した学生を何人か紹介してくれた。三つ目は、在大阪オーストラリア領事館への協力の依頼だった。VISA発給を行う事務所の壁に部員募集のポスターを貼らしてもらい、クラブに参加してくれそうな関西在住のオーストラリア人の紹介を依頼した。これらのリクルート活動により、日本人だけで約10名のメンバーが集まった。クラブの名称は当初『関西オーストラリアンフットボールクラブ』とした。メンバーは大阪のみならず神戸、京都、奈良など関西一円から集まっていたからである。『ディンゴーズ』という愛称を付けるのと同時に『大阪オーストラリアンフットボールクラブ』に名称変更したのは、それから約5年後のことである。国内では、東京以外の地域で初めて創立したチームだった。

当初のメンバー

こうやって集まってきた、クラブスタート時のメンバーは以下のとおりである。

以上のようにメンバーは、世代的には上から下まで20歳程の年齢差があり、国籍も違う、クラブの活動以外での日常生活が全くバラバラの人間が集まっていた。しかし、日本におけるスポーツクラブのよくある形態は、学校内でそこに通う生徒や学生に限定されたものであったり、企業内でそこの従業員に限定されたものがほとんどである。近年は少し変わってきてもいるが、当時は特にそうであった。このクラブを構成するメンバーの多様性は、私にとって非常に新鮮で魅力的に感じられた。

初めての試合

1991年3月30日、私たちは初めて対外的な試合を行った。相手は、関東の4大学の学生選抜チームである。(4大学とは、慶応大学、早稲田大学、専修大学、湘南工科大学のことであり、当時国内に存在した日本人チームの全て。)試合の名称は『東西対抗QBEカップ争奪戦』。場所は、私が初めてフッティーに出会った大阪城公園内ラグビーグラウンドだった。ラグビーグラウンドを使用する理由は、日本国内にはフッティーのゲームに使用できる正規のグラウンドが無いからである。フッティー専用グラウンドに比べて面積が狭い分、プレイヤーは1チーム12名とした。

当日の試合の内容は白熱した展開となった。第1クォーターでは関東学生選抜が私たち関西クラブを引き離したものの、第2クォーターではほぼ追いつくところまで挽回した。第3・4クォーターも決定的な点数の開きは無く、最後まで結果が判らないものとなった。最終的には勝利することはできなかったが、私たちにとって初めての経験であったにもかかわらず、ここまで拮抗した試合ができたのである。このことは、私にとっては想定以上のもので十分満足できるものだった

  
 
関東学生選抜 関西クラブ
1Q 4.7: 31 1.2: 8
2Q 6.11: 47 6.5: 41
3Q 10.14: 74 8.6: 54
4Q 11.17: 83 10.7: 67

最後に
こうやって当時のことを改めて振り返ってみると、当クラブを新しく設立し何とか軌道に乗せることができたのも、クラブに所属したメンバーの努力のみならず、クラブ外のたくさんの人達や団体の支援・協力があってこそ、はじめて可能となったのだということがよく分かる。関係した全ての方々に深く感謝したいと思う。そして23年前に創立したクラブは、メンバーの世代交代を繰り返しながら現在も活動を継続している。クラブとオーストラリアンフットボール競技の、今後の更なる発展を切に願う。

水口 公男
2013年5月